QSL紹介・・・『千歳橋と都電』/JR1CCP

 20201220日(日)

今回はいただいたQSLの中で、素敵だと感じた一枚を紹介させてもらいます。写真がそれです。
発行者のJR1CCPさんとメールで連絡をさせていただきQSLの本ブログへの掲載に関してご承諾をいただきました。
これを描かれたのは小野誠一郎さん、『ザ・ふるさと東京』に納められているものです。
いろんなQSLがあります。いろんなデザインがあります。それを眺めるのはアマチュア無線のひとつの大きな楽しみですが、こうやってメールでやりとりが容易にできるようになったことで、単なる交信を超えたいろんなつながりをQSLをきっかけに持てるようになることもまた、無線の拡張された楽しみの一つかなと思っています。


この場所のこの風景、今も同じです

都電が千登勢橋の下をくぐって三ノ輪橋に、早稲田に走って行く様子、是非一度足を運ばれてください!『東京』を感じることができると思います!

 

1. QSLデザイン

例えば海外から、QSLをもらったときに私が思うのは、
どんなところから電波が飛んできたのだろう、ということです。海外からいただくQSLに街の写真、近郊の写真が載っているととてもうれしく思います。体はそこまで行けなくとも、そこにいる人とつながった、というのは何かこう、達成感があります。
次に思うのは、
どんな人と交信できたのだろうということです。
QSLではシャックやアンテナ、そして局長さんの写真が載っていることはとっても多いです。特に局長さんが映っていらっしゃるQSL、私はとても大好きです。この人と交信できたのか・・・と、ても誇らしく思います。当局はどうかと言うと、皆さんも同じかもしれませんが、自分の写真を公に出すのはいろんな意味で若干はばかられます。少し状況が変わったので、
一番最近のQSLNo.42)で、初登場しています。そのうち、フルに出てみたいと思います。


 2. eMailSNSでのやりとりとアマチュア無線

最近の無線交信の高速化や自動化の流れの中で
2Way交信の中でいろんな情報を時間をかけて交換することは次第に下火になりつつあるように思います。以前は430のメインを聞いていると「CQラグチュー、CQラグチュー。ラグチューしていただける方、応答願います」といったコールもかかっていましたが、今はどうでしょうか。
当局はフォーンではラグチュー派よりで、1時間CQを出して、急いでやって5-6局が精一杯ですが、このやり方だと声かけていただけないかなぁと思うときがあります。

一方で、高速通信で失われたものを補完する手段も発達しつつあると思います。
その一つの有力な手段がeMailです。QSLが来たと言うことはお相手はJARL会員ですから、メールアドレスは自動的にわかります。eMailを送ることでコンタクトを続けることができることになります。あと有力な手段としてはツイッターがあげられます。フォロワーに対して一斉に情報を発信し、リアクションをつかむことができます。
eMailSNStといったデジタルな
世界でのルールは、情報発信は基本One-Wayだということかなと思っています。
当局が送ったeMailに答える応えないは受け手の判断。発信側も返答が来ないこと、同じ人からあるときは返事があって、またあるときは返事がなかっても気にしない、これがポイントかなと勝手に考えています。
その理屈を念頭に、QSLの整理などをしていて、わざわざ手書きのコメントをいただいているケースでは、かなりの時差ではありますが、当局は返信をeMailで送っています。
素敵なデザインや気づきのあるQSLを見たら、メールを出すようにしています。
そうすると結構返答をいただけます。今回もJR1CCP局とはやりとりさせていただきましたが、結果として『ザ・ふるさと東京』の購入に至り、彩画集を拝見し、学ぶことはたくさんあリました。
これがアマチュア無線の拡がりだと感じました。
無線でやりとりすることと、有線やバーチュアルの世界でやりとりすること、区分されていていいかなと思います。その全部が趣味としてのアマチュア無線だと思います。


3. 千登勢橋と都電(以下、無線話題ではありません)

『ザ・ふるさと東京』の発行は平成元年。今年は令和2年。30年以上の月日が流れましたが、切り取られたこの一角の風景は今も全く同じです。ちなみに概ね同じ角度から私が撮った写真をつけておきます。調度同じようなところで写真がどうしても撮れないため、これを描かれた頃は会談と都電の間の植え込みがまだ背が低かったのかなと思います。 

以下、冊子の詩を添えさせていただきます。

千登世橋
橋の下には明治通り
それに沿って都電荒川線が走る
学習院下より鬼子母神前
ちょっとカーブのカタカタ

横ゆれコース
橋 替わって見えるのは
ノッポ建物サンシャイン
階段上り左へ行けば
学習院大を過ぎて 目白駅

この絵のすぐ左の外側に明治通りが走っています。向こう側が池袋、手前が新宿になります。
絵の都電は手前から向こうへ走っています。この位置から数百メートル手前が「学習院下」駅、数百メートル先が「鬼子母神前」駅となります。三ノ輪橋駅行きでしょうか。
この橋を北に抜けるとサンシャインが見えてきます。
小野さんはこの場所がとても好まれていたと思われ、『ザ・ふるさと東京』には少なくとも三度にわたってこの場所が取り上げられています。
 

東京は、すごいスピードで変化しています。
千歳橋にたって南は新宿のほう、あるいは北の池袋の方を眺めれば、そこに見える風景は10年単位で見れば様変わりのようだと思います。「日本で一番高いビルは、京王プラザホテル」などと言っていた昔、それを凌駕したサンシャイン60の衝撃。今はもう高さは競わないのかと思いますが、時々刻々、新しい東京のスカイラインは変わっています。
東京の変化の象徴をこの階段を上がれば見ることができます。

そんな中で変わらぬところもある、と私は思っています。
都内、唯一今も残っている
『都電』荒川線が千歳橋の下をくぐっていく風景は、私には限りなく、変わらない「東京」を感じさせるところです
たった一両の都電が運べる人の数には限りもあり、大きな駅との接続もあまりないこの路線も、朝晩利用する人もいれば、そんな都電を眺めながら今日一日の仕事へ向かう私のような人もいます。

無人駅の学習院下に走って間に合おうとする人がいれば、それを止まって待っている(ように思えることがある)ワンマン都電の光景は昭和も50年代かなぁと脇を歩いて思うことがあります。
都電は新目白通りをまたいで走ります。都電が飛鳥山のあたりでは道路の上車と併走している姿は、なんとも風情があると思います。都電ができて以来の、人と電車(と自動車)が共存している姿を感じます。東京ではあと、世田谷線くらいでしょうか(今もあるのでしょうか?)。末永く、走り続けてほしいと思っています(時々サポートに乗ってます)。
階段を上って左に曲がると学習院です。
そして目白の駅に到着します。
そこで終わりにせず、さらに先に歩けば山手通り、右に切り込んでいけば漫画で著名なトキワ荘、そのまま進むと道はやがて千川通りとなり、練馬区役所の前を通ってさらにさらに歩いて行くと当局のシャックに到着します。

 小野さんの書籍に興味のある方はAmazonなどで検索ください。

 

Special thanks to JR1CCP